晴耕雨読って実際はどんなの?【65歳・吉岡さんの場合】

サラリーマンの多くが夢に見るという晴耕雨読。リタイヤ後悠々自適に暮らすシンボルのように言われている。私はこの4~5年間それを実体験してきたので,思うところを記してみたい。

実は私もこの晴耕雨読を楽しみにしていた。リタイヤの時期が近づいてきて新しい暮らしの姿が見えてきたとき,どうやらそれができそうだと思えたからだ。

舞台はわが実家。親が農業をやっていたので畑はあった。しかし,高齢となってからは畑らしい畑は近所の農家に貸すこととなり,残った畑も両親が他界した後は荒れ放題となった。リタイヤした私はその実家に移り住み,土地を耕し,家庭菜園のように使えることになったのである。

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周りに生えている樹木のせいで日照は良くなく,土地の傾斜も強いなど条件の悪い土地であるが,広さはおよそ3000坪ある。家庭菜園というには広いと言えるだろうが,プロの農家にしたら中途半端な広さだ。言ってみれば,アマチュア以上プロ未満が使うような微妙な広さの土地である。

ともあれ,そういう所でシコシコと晴耕雨読をやろうということになったのであるが,実際にやってみると,どうも抱いていたイメージと違うことに気づいた。何がといって,晴れの日と雨の日がいい具合に交互に来てはくれないことだ。

当たり前と言えば当たり前なのであるが,晴耕雨読を夢見ている段階ではこんなことを意識することがなかった。晴れと雨は適当なバランスで訪れ,晴れの日は土とたわむれ,雨が降ったら家の中で本を読んだりして過ごす。何となくそう思っていたのである。しかしながら現実は,晴れの日が延々と続いたかと思うと,逆に雨の日が続いたりする。

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晴耕雨読というからには,晴れの日は仕事をしなければならない。そうでなかったら晴耕雨読にならない。そんな気がして,しょうがないから晴れが続く限り連日野良仕事をした。それでも春のうちはまだいい。これが真夏となると健康や命を害することになりかねない。熱中症である。実際フラフラになったこともある。

一方,梅雨の季節になると雨が続く。やれやれ楽ちんとばかりにずっと家の中でゴロゴロしていられるかというと,実際にはそうもいかない。水を得て雑草はグングンと草丈を伸ばすから放っておけないのだ。それに収穫期であれば,雨が降っていても採らなければならない野菜がある。キュウリなどは,1日放っておいたらとんでもない大きさになって食用にならない。

こんなものだから,晴れの日でも家の中にいなければならないときもあるし,雨が降っていても外に出なければならないこともあるのだ。これが実態である。決して甘くはない。

それでも友人たちにいい格好をしたかった私は,「晴耕雨読をやっている」と胸を張って言えるようにしたかった。そこでひねり出したのは「涼耕暑読」なるルール。涼しくて快適に仕事をできるときは外で野良仕事をやり,暑過ぎて健康上問題があるときには家の中で読書などをする,というルールである。これを晴耕雨読という基本ルールの下に置かれるサブルールとした。

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例えば,人を殺してはいけないが,自分が襲われたら殺してもいい場合があるし(正当防衛),勝手に人の家に入り込んではいけないが(住居侵入),洪水で濁流に流されようとしているときなどは入り込んでも罪に問われない(緊急避難)。言ってみればこのようなものだ。

この世にある基本原則には一部の例外を認めている場合がある。だったら晴耕雨読だって同じようにしていいはずだ。とまあ,いささか理屈っぽいがそのように考えたのである。そして,このサブルールを適用してからは,わが晴耕雨読はずいぶんスムーズになった。

せっかくの第2の人生である。あまりガチガチにしてしまっては楽しくない。適当にゆる~くした晴耕雨読でいいのではないか。そんなふうに思っている。