リタイアするとこんな気分になる(かも) 

サラリーマンを定年退職してから1週間ほど経ち,終の棲家に引越しするまで少し時間ができた。
そこで思い立って四国の高知に旅行することにした。高知県だけが現役時代に唯一足を踏み入れたことのない所だったからだ。
新しい生活を始める前に,「47都道府県に全部行ったことがある」と言えるようにしておきたかった。単純である。

高知までは千キロくらいあったが,あえて車で行くことにした。
時間はたっぷりある。なんせ毎日日曜日みたいなもんだ。それに私は飛行機が苦手だ。

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出発して間もなく車は渋滞の列に突っ込んだ。いつもならイライラするところだが,一向にそうはならない。何も急ぐ旅ではない。
それにリタイヤ後の住まいは田舎だから,きっと渋滞などはないだろう。この際渋滞もしっかり味わっておこうかぐらいの気分である。窓の外には不機嫌そうなドライバーの顔が見える。私も現役時代はあんな顔をしていたんだろうと思う。
その時ふとある言葉が浮かんだ。

「よう,労働者諸君! ご苦労さん!」

そう,あのフーテンの寅さんのセリフである。

自分自身がつい先日までその「労働者」だったわけだから,こんなセリフが浮かぶのは妙な話ではあるが,事実だからしょうがない。
束縛だらけの組織人から解放された高揚感からだろうか。一生懸命働くために朝の渋滞に我慢している彼らがいとおしい気持ちすら起きた。

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そして,しばらく運転をしていてまたふと思う。(アレ? 今日は何曜日だっけ)。
自信がないので助手席の妻に訊いてみる。

「えーと,うーんと,アレ,何曜日だっけ」

との反応。

いやはや夫婦そろって今日が何曜日かすら忘れている。思わず笑ってしまった。

これがリタイヤするということなんだ。そう思った。
最初のリタイヤを実感した瞬間であった。

そうこうしているうちに車は渋滞を抜け,高速道に入った。快適なドライブが始まる。空は晴れわたっており,いい気分だ。

しばらくすると,またまた異変に気づく。

(アレ,今日はスピードメーター,あまり見てないな)

確かに車は流れに合わせていて,いわば自然体で運転しているのだが,いつもだったら頻繁にスピードメーターに視線を落として速度を確認しているのに。

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定年が近づくにつれてそれなりにポストが上がっていた私は,法に反することは絶対にしてはならないと肝に銘じていた。
保身といえば保身だし,部下を指導する立場で法令違反をしてしまっては格好がつかないと思ったからでもある。そして,一番法令違反に陥りやすいのは車の速度違反だと思っていた。だから自然に神経質になる。車の流れ自体が相当な制限速度違反という場合もあるから,流れに身を任せていればOKというわけにもいかない。

それがほんの1週間でこんなふうになっている。現金なものである。

50を過ぎ,定年退職が近づいてくると,リタイヤした後の気分とはいったいどんなものだろうと気になってくる。
実際にリタイヤした先輩にも訊いてみたこともあるが,どうにもピンとこなかった。それがこの日,いつもと違うことを次々と体験して何かわかったような気がした。ひょっとしたらもっと寂しい気持ちになるのかと想像もしていたので,こんな明るい気分になれて安心したし,嬉しかった。いい旅行だった。