50代からの生き方・遊びをせんとや生まれけむ

私の先輩に「人間は遊ぶために生まれてきたんだ!」と公言してはばからない人がいた。
そして実際によく遊んでいた。仕事もよくできる人だったからそれで批判されるようなこともなかった。

その人の根拠は平安時代の「梁塵秘抄」(りょうじんひしょう)の有名な一節,「遊びをせんとや生まれけむ」。
彼に言わせれば,「人は遊ぶために生まれてきた。それを千年もの昔から日本人は知っていた。エライ!」ということになるのだが,これはどうも彼独特の解釈だったらしい。それは最近になって知ったのだから,私はずいぶんと長い間彼にだまされていたことになる。

この先輩の言葉から影響を受けたのかどうか判然としないが,私も相当遊んだ部類だったと思う。特に釣りを覚えてからは毎週のように住まいの東京から相模湾に繰り出した。同僚からは「週末漁師」のあだ名まで頂戴するくらいだった。

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ある金曜日,大量の書類が私に渡ってきて,どうしても月曜日までに処理しなければならなくなった。しかしやっぱり釣りには行きたい。魚が口を開けてオレを待っていると思うといたたまれない。思案の挙句,書類一切を車に積んで釣り道具と一緒に釣り場まで持って行くことにした。

相模湾と東京の往復にはたくさんの信号があってそのたびに1分ほど待たされる。あるいは渋滞でノロノロ運転になる。その無為に過ごす時間を利用して書類を読み,処理する作戦であった。ずいぶんせわしなくて,危ない釣行となったけれども,一応これで仕事の件もクリアーできて釣りもできて満足だった。それにしても,そこまでやるかと我ながら自嘲したものである。

ともあれ,こうして熱中できる遊びがあったことで,その時々の年代を楽しく過ごすことができたし,遊び仲間との人脈ができて仕事にも役立ったりしたので,遊びの効用は大きなものがあったと思う。
そして現役をリタイヤした現在,この遊びグセは思わぬ形で私の第2の人生に幸福をもたらしてくれているように思う。

時間を持て余してゴロゴロと家の中で過ごしたりすることもないし,奥さんが外出すると「わしも」とついて行って「塗れ落ち葉」などと揶揄されることもない。

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何か楽しいことを自分で見つけ出して遊ぶ。子どもを見ればわかるように,これは人間が持って生まれた能力である。

これこそが「遊びをせんとや生まれけむ」である。

そしてこの能力はその後の人生の中で強化されたり抑制されたりする。
仕事ばかりやっている人が「塗れ落ち葉」になったり「粗大ゴミ」になったりするのは,遊ぶ力を弱めたり無くしてしまったからだと思う。ある意味,生活習慣病である。

救いは,この遊びの生活習慣病の治療は糖尿病など本物の生活習慣病の治療ほど辛くないことだ。好きなモノを食べることやお酒を楽しむことを我慢するのは容易じゃないが,遊びの方は自分で楽しいと思うものを実際にやればいいだけなのだ。全然難しくない。

仮に,「仕事以外に楽しいと感じるものなど何もない」,いう人がいたら,それは相当重症だと思うが,そのような人だって自分の人生を遡っていけばきっと楽しく遊んだ時期にたどり着くはずだ。

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そして,その時のウキウキ感を身体で感じ直して,その感覚に近いものを今の自分の周りから見つければいい。そのようにして楽しいものを少しずつ増やしていけば,リタイヤ後の生活はきっと最高のものになる。