歳を重ね,人生も後半になると自分の死というものをまじめに考えるようになる。人間誰しもが逃れられない死。これをどう受け止めてこれからの人生を生きていくのか。悩ましく切ないテーマではある。
私はこれまで,人はなんだかんだ言ったって最後は苦しんで死ぬのだと思っていた。安らかに死んだとか眠るように死んだなんて,それは生き残った者が自分を慰めるための思い込みであって,実際に死ぬ方は心臓がおかしくなったり,呼吸困難になったりして死ぬ。だから時間の長短はあってもたいていは苦しむ。嫌だなあ。そう思っていた。
ところがである。9月20日のNHKスペシャルを視ていたら,どうやらそうでもないらしいことが分かってきた。老衰で死ぬ場合,本人は(たぶん)苦しまないで,それこそ安らかに,眠るように死んでいくというのである。
「たぶん」というのは,現段階の科学ではまだ断定まではできないから控えめに表現するのだという。それでも科学者たちの分析によれば,老衰で死ぬ人について,死ぬ直前になると既に痛みや苦しみを感じる脳の機能がほとんど働いていないことが確認できているので,それらの苦痛を感じることはないはずだというのである。
これは朗報である。これまで長い間,老衰だって人は苦しんで死ぬのだと思い込んでいた私にとって,天から雨の代わりに真珠が降ってきたような驚きであり,喜びである。
脳卒中とかでほとんど即死するのが一番いいのだろうと思ってきた私だが,老衰こそが一番いいような気がしてきた。何たって,脳卒中だって死ぬ直前は苦しいのかもしれないのだから。苦しまずに死ねるというのは何とすばらしいことではないか。それに家族などにもちゃんと別れの言葉を伝えられるから,安心して死ねる。
番組によると,老衰死が近づいてくると,食事をしてもこれを栄養として吸収しなくなるのだそうだ。食べ物を噛んで飲み込んでも栄養にならない。吸収する細胞が死ぬからである。栄養が供給されないのだから,ほかの体中の細胞が弱り,やがて死んでいく。脳細胞も同じだ。そうしてだんだんと感覚などがマヒしていって死に至る。
病気になって死ぬのではない。すべての機能がフェードアウトするように弱まっていってやがて停止する。自然死と呼ぶにふさわしい死に方である。
ここで人工呼吸器を使うとか点滴などで栄養を補給することもできるのだが,それをやったからといって死期を大幅に延ばすことはできないのだそうだ。まるで死がプログラムされているようである。神が人間をこの世からあの世へと送る移動のためのボタンを押すようでもあるし,古来言われているように「お迎え」が来て人をあの世に連れていくような感じもする。
ということで,私は老衰で死ぬことを目標にすると決めた。そうなると,これから残された人生は20年以上ありそうだ。やりたいことをやるには十分だ。生きるだけ生ききって,そして安らかに死ぬ。何となく気分も軽くなってきた。安心して今の人生に集中していいような気がしてきた。