それならそれでいいじゃないか-下流老人-(66歳 男性 伊藤さんの場合①)

それならそれでいいじゃないか-下流老人-
(66歳 男性 伊藤さんの場合)その1

「下流老人」とは

何とも愉快でない本が出た。題して「下流老人」。

既に高齢者となり年金暮らしをしている身にはグサリとくるタイトルである。ひょっとしたら私も「下流」なのだろうかと心配にもなる。

この本の言う「下流老人」とは「生活保護レベルで暮らしている高齢者か,その可能性のある高齢者」とのこと。恐る恐る私の暮らしを自己点検してみた。

一応,今のところ3食食べられて,晩酌もして,たばこも吸い,必要な時には医者にもかかれるし,冠婚葬祭も人並みにやれている。趣味もアレコレと楽しんでいる。周囲に住む人たちとだいたい同じだ。その人たちの中で生活保護を受けている人はいない。ということは……たぶん大丈夫。

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と思ったら,後段にある「その可能性のある高齢者」という定義がにらみをきかす。この先何があるか分からない。いつなんどき夫婦共々病気になったりして生活保護レベルの暮らしになるかもしれない。その可能性は否定できない。となると私も既に下流老人ということになってしまいそうである。

何か嫌だなあと思うと同時に,でもそんなことを言ったら日本の大半の高齢者がその可能性があるだろうからみんな下流老人になってしまうので,どうもこの定義は乱暴すぎるのではないかとも思う。

「下流」という言葉が引っかかる

そもそも「下流」という言葉も引っかかる。生活保護は憲法が保障する「文化的な最低限度の生活」が送れるようにするためにものであるが,この本からすると,そのレベルの生活は「下流」になってしまう。そうすると,憲法は国民に「下流」の生活を保障していることになる。

それでいいのかなあと首をかしげてしまう。それに憲法は「文化的な生活」を保障しているのである。文化的な生活でも「下流」なのだろうか。憲法が頭から湯気を出して怒っているような気がする。

このように,「下流老人」の定義自体に疑問を感じるのであるが,加えて「下流」という言葉は高齢者に対していささか失礼な表現だとも思うし,品もない。

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ということで,私は少々腹を立てているのであるが,調べてみたら著者は1982年生まれというから34歳ほど。大学出てから一回り。まだまだ若い。振り返ってみると,私だって生意気盛りだったし,言いたい放題・やりたい放題やっていた頃だ。やむを得ないか。

そう思って怒りを静めようかと思ってみたが,いや,それでは著者に失礼になるかもしれないと,別の私が反論する。

ひょっとするとこの著者は相当しっかりした人で,このタイトルには煽情的なニュアンスがあることを承知の上で,それで社会の注目を集めておいて,経済的に困窮する高齢者が急増するから早く手を打ちなさいと国などに警鐘を鳴らす効果を高めようとしているのかもしれない。

となれば,善意から生じた「下流老人」である。高齢者の味方である。怒ったらバチが当たる。そんな考え方もありそうな気もしてくる。

まあともあれ,結局のところどちらの受け止め方が適当なのかよく分からないので,これはこれとして先に進みたい。あまり一つのことにこだわらないのが長生きの秘訣だともいうし。

(その2へ続きます)