それならそれでいいじゃないか-下流老人-(66歳 男性 伊藤さんの場合②)

それならそれでいいじゃないか-下流老人-
(66歳 男性 伊藤さんの場合)その2

高齢者自らができる自助なるものをやるべきでは

私はこの本の存在を知った時,その前年に刊行された「地方消滅」という本を想い出した。同じように高齢者のことを扱い世間に衝撃を与えた本だからだろう。

しかし,こちらの本が「下流老人」と違うのは,複数の専門家がクールに学問的な分析を加えて事実を積み上げ,具体的かつ実現可能性のある提言をしていることである。タイトルも格別奇をてらったような感じはなく,彼らが達した結論をただタイトルにしただけという印象だ。

また,高齢者に関して様々な視点で言及しているが,読んでいて別に不愉快にはならないし,品がないとも思わない。むしろ名著だと思う。ぜひこの本を基に,国も自治体も腰を据えて施策を講じてほしいと思う。

bba00438dd7a3f5054c1d78da908ba5d_s

これらの本では共に高齢者に手厚い対策を行うよう国や自治体に求めている。それはもっともなことで,しっかりやってもらいたいと思うが,高齢者の我々としては,その成果を口を開けてアングリと待っているだけいいのかとも思う。パン喰い競争で糸に吊るされたパンをくわえようとパクパクしているようで,少々情けない姿である。いわゆる公助は公助として,高齢者の我々自らができる自助なるものをやるべきではないか。そんな気がする。

では,どうすればいいか。

世界一幸福な国といわれるブータンの人たちの生き方や考え方も参考になると思うが,例えば私は「里山資本主義」の考え方にヒントがあるように思っている。

この同名の本は,藻谷浩介氏がNHKの広島取材班と共著で出したものだがなかなか面白い。従来の資本主義を「マネー資本主義」と呼び,一方,里山には貨幣に換算できない価値があるとして,この「里山資本主義」こそが「健康寿命を延ばし,明るい高齢化社会を生み出す」としている。高齢者にとっては元気が出る内容だ。

「里山資本主義」の考え方

私は,サラリーマンをリタイヤしてから里山に移り住んだが,その実体験を通じてこの「里山資本主義」の考え方がよく腑に落ちている。確かに都会のような華やかさはないが,里山には人を幸せにする種がたくさんあるように思えるのだ。

例えばおすそ分け。これでたくさんの野菜などが巡ってくる。もらい過ぎたらそれをまた別の知人などにおすそ分けをする。使えるものは徹底して無駄にしない。お金は使わないけれども必要なものは手に入る。これは「マネー資本主義」ではあり得ないことだが,里山では日常的に存在する。

おすそ分けを頂いたら,別の機会にお礼の意味を含めておすそ分けのお返しをする。これを年中繰り返していくうちにお互いの親密度は増していく。都会では希薄になっているとされる地域コミュニティが自然にはぐくまれる。だから困った時には自然に助けの手が差し伸べられる。役所に「行政サービスが悪い!」などと文句を言う前に問題の多くは解決されていく。これも貨幣に換算できない価値ではないだろうか。

もう一つ。私が今の暮らしで面白いと思っているのは自然農法。
農薬はもちろん,化学肥料も使わない。だから店から農薬も肥料も買ってこなくたって野菜ができてしまう。少々虫に食われても,食われていない所を人間が食えばいいだけである。

14439708e51985b1dbd9c69c4f87268b_s

「種とか苗は買うだろう?」という人もいるが,実は種も苗も買うのは最初の年だけで次の年からは買わない。育った野菜から種を採り,それを次の年に播くからである。こうするとお金をかけずに毎年無農薬の安全な野菜が食べられる。これも貨幣に換算できない価値であろう。年金額は都会の人と一緒でも,野菜を買う金が要らないから収入が増えたようなものである。

第2の華を開かせる「華流」老人

「里山はいいが田舎には働き場所がない」という声もある。確かにそうだが,「ならば仕事をつくってしまえ」というのはどうだろうか(伊藤洋志著「ナリワイをつくる」)。月に3万円になる仕事を10個作れば月収30万円になるという発想もある(藤村靖之著「月3万円ビジネス」)。

「そりゃあ面白い!」と思った私は,荒れ放題で困っていた竹林から竹を切り出して炭にしたり工芸品にしたりして販売してみた。そしたらソコソコ売れて,作る方が間に合わないこともあった。それからクルミを拾ってきて,割ってから直売所に並べたらよく売れた。要はちょっとした思いつきと実行がキモである。

このように,雇用先がなくて貧困で,いずれ消滅していくといわれる里山でも,実際に住んでみると年金暮らしの者には案外居心地がよく,幸福度も高いように思える。多少経済的に豊かでも,そのために毎日心身をすり減らしながら生きる都会暮らしの方が辛くて寂しいことなのだとも実感する。いわば「上流」かもしれないが不幸。現役時代にそんな暮らしも経験してきた私は,もう二度と逆戻りしたくないと強く思う。

そういう意味では「下流」で結構と言いたくなる。これを「下流」と言うなら「それならそれでいいじゃないか」と開き直りたい。老人だってたまにはケツをまくるのである。

里山に限ったことではない。それぞれの場所でそれぞれに知恵を出して小さな仕事をつくっていく。それを通じて少しでも世の中の役に立つようにする。それは日本全国どこでだってできるはずである。

高齢者は,これから更に急増するといわれている。
世間ではそのマイナス面だけが強調されるが,小さな起業家がかつてないほど大量に誕生する新時代の到来と考えてみたいものだ。

誰かに雇われたり,公的機関の福祉施策に頼ったりするだけが高齢者の生きる世界ではない。それなりに歳を重ね,経験の蓄積もある高齢者である。リタイヤしてからあの世に行くまでは相当の時間だってある。

この経験知と時間を有効に使って,これからも自分の人生を意味あるものにし,心豊かに,楽しく,幸せに生きていく。いわば第2の華を開かせる「華流」老人になるのである。

aec01378b4de3fd9670b4f1f9da194e9_s