年賀状を上手に書きたい!《65歳・西条さんの場合》(生涯学習)

年賀状くらい筆で書いてみたい。そう思って筆ペンで書いてみた。職場の昼休みを返上してシコシコとやっていたら部下に見られた。そしてキツーイひと言。

「課長,それはすご過ぎです!」

一瞬褒められたと思ったのだが,顔は破けそうな笑顔。よっぽどひどかったのだろう。

当時,私は新米の「課長」。人から「カチョー」と呼ばれるのが嬉しくて,呼び掛けられても気づかないふりをしてもう一度の「カチョー」を待っていたりしていた。

「課長なら課長らしい年賀状が書けなければいけない」
とまで思ったわけでもなかったが,何となく筆文字で書かれた年賀状にあこがれたのだった。

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課員に笑われたことをエネルギーに変え,一念発起。通信教育で書道を勉強することにした。最初は「一」(いち),次は「三」。これくらいは「馬鹿にすんな」レベルだが,「山」とか「川」になってきたあたりから気持ちが乱れてきた。手が震えるのである。線がきれいに書けない。ノコギリの刃のようにギザギザになったりする。

通信教育の最初の頃は半紙に大きめの筆で書く。肘は空中に浮かす。それで字を書くのだから細かく震えるのは当然といえば当然のことなのだが,どうにもこの基本中の基本の線がギザギザなものだから,字画が多くなる字ほど目も当てられない代物になる。すっかり自信も自尊心も消えていってしまった。

「この会社の指導法が悪い」

そういうふうなことにして,私はその通信教育をやめた。もう20年以上も前のことである。

しかし諦めが悪いというか,執念深いというか,年賀状を筆で書きたいという思いは消え去らず,毎年恥をさらしながらも筆書き年賀状を出し続けた。年賀状の場合は肘とか手首を机に付けて書くので震えはずいぶん抑えられる。それで何とか読める字にはなるのであるが,字の大きさがバラバラだったり,住所が真っすぐに書けなかったりで,何とも悲しい年賀状だった。

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そんなある日「実務書道」を教える学校があることを知った。実務書道とは,宛名書きとか祝儀袋の表書き,掲示文や賞状書きなどのことを指す。これを専ら教えるというので,通信教育とスクーリングという形で学ぶことにした。結構な時間と金を使ったが,何とか最高位の5段までやり遂げた。

さあ,これで年賀状書きなどへのかっぱだ,となる予定だったが,実際はなかなかそうはいかない。何というか,確かに大方の人よりはうまくなったようなのだが(一番私に厳しいカミさんが認めてくれた),私自身が満足できない。だいたい10人分書いて,納得できる書き方ができるのは1~2割程度。大部分は恥ずかしい思いを残しながら投函するのである。

このような不幸は,私自身の能力のなさに主な原因があるのだが,目が肥えてしまったということもある。「本来ならこう書くべきだ」というものが頭で分かるようになってしまっているのである。ところが腕がそれに追いつかない。だから恥ずかしい思いをする,ということである。これは困ったことだ。練習すればするほど目が肥えるものだから,いつになったら自分に百点満点をあげられるか分からない構図になっている。

そんなことがあるものだから,実務書道という実用分野に特化した分野だけではなく,本元の書道を学ぶ必要があると悟り,リタイア後に地元の市民講座のような書道教室に通うようになった。20年を経て元に戻ったことになる。

一方,また通信教育を受け始め,ここで昇級・昇段試験を受けるようにもなった。10級から始めて今は3段まで取った。それでもまだ先がある。書写検定という公的な資格を取るべく受験も始めた。いやはやすっかり泥沼というか,アリ地獄にはまったようだ。

ともあれ,リタイアすると時間だけは間違いなくたっぷりある。それに,歳は重ねても,去年よりは今年の方が上達していると感じられるのは幸せなことだ。しかも,幸か不幸か頂点はまだまだ先だ。満点の年賀状書きは死ぬまでできないかもしれない。そして,それもまたいいではないかと思うようになってきている。